卵巣のう腫 境界悪性 ~7キロの腫瘍~vol.2
日本に帰国してから、最初に行ったのは母の知り合いのクリニックだった。
事前に話を聞いていたのか、胸部、腹部のエコーから始まった。
しかし、診察はすぐに終わった。
「済生会に紹介状を書くから、すぐに行ってください」
このとき、私は内心ホッとしたのだ。
「新しい職場を断ってまで日本に帰国したのに、なんの病気もなかったら…ただの意気地無しになってしまう…」
日本に帰国してから、私の心の中はこんな思いでいっぱいだったのだ。
そして、翌日だったと思うが、紹介状をもって、済生会に行った。
診察をしてくれたのは、若い女性の先生だった。その先生よりもまだ若い研修医もいた。すぐに内診とエコーをした。
先生に
「今日は誰かと一緒にきてる?」
とたずねられ、母と叔母も一緒に話を聞くことになった。
「腫瘍がここまで大きくなっています。」
と胸の下に手をあてた。
「恐らく悪いものではないと思いますが、こればかりはとって検査しないとわかりません。腹腔鏡という手術方法もありますが、ここまで大きくなっていると、開腹しかありません。しかし、よくここまで我慢していましたね…」
GW前だったので、手術、入院はGW明けとなった。
手術はうまくいった。お腹の中にあった腫瘍は7キロにまで増大していた。手術後、初めて立ったとき、あまりの自分の身体の軽さに驚いた。胃が圧迫され、最後は食事もとれていなかったため、術前より10キロ体重が減っていた。
検査の結果、
「左卵巣のう腫 境界悪性」
という診断だった。
境界悪性というのは、
「極めて悪性度の低い癌」
ということだった。
抗がん剤をするかどうかも聞かれたが、母の助言もあり、抗がん剤はやらないことになった。
あれからもう10年。
先生には
「子供を産むまではフォローが必要よ。でも、卵巣は1つでも妊娠はできるから」
といわれていた。
だから、術後はずっと検診に行っていた。身体の調子が悪くなったり、疲れたりすると不正出血があったり、生理不順になったりもしたので、その都度婦人科にも行っていた。
結婚すれば、子供も授かると思っていた。
しかし、不妊治療のために病院を訪れ初めて、自分は妊娠しにくいという事実を突きつけられた。
婦人科が弱いこともわかっていたし、妊娠しやすいとは思ってなかったが、ここまでとは思っていなかった。
結婚して4年だが、結婚してすぐに治療を始めていれば…もっと生活に気をつけていれば…
と何度も思った。
だから、若い人たち、今、妊娠を望まない人も、自分の身体がどんな状態なのかを知っておくべきだと思う。
そこからどうするかはその人次第。でも、妊娠したいと思ったときに
「あのときこうしておけばよかった」
「もっと前に始めていれば…」
と思う人が少しでも少なくなればいいなと思う。